火曜の朝に届いた訃報を受けて
翌日に岐阜に戻りお通夜があり木曜にお葬式でした
遺影を見つめながらの二日間
二度の戦後を生き抜いて孫と曾孫が20人に届かんという人生
四捨五入すればほぼ一世紀
腰が曲がったり耳が遠くなったりはあったけど
大きな病気をすることもなく葬儀
最後に言葉は朝のトイレにいくときに介護する母に
「はいはい」という二つ返事だったようです
ちょうどお盆だったねと思って
みんなが里帰りするつもりでいたし
ちょうど連休で仕事の心配もしなくてよかったり
待ち合いの時間に気がまぎれるように高校野球を一族でみてたりで
こんなに暑い日が続いていてたのにお葬式の日は雨が降って暑さも和らいで
祖母が「暑い中みんなすまんね」と言ってるような気がした