テレビのCMを見ていて違和感を覚えることがある。
カップ麺なのに、生麺。
缶コーヒーなのに、ドリップ。
カップ麺は、いくら頑張っても生麺にはなれない。
缶コーヒーは、いくら頑張ってもドリップには敵わない。
むしろ、食べる側にしてみれば、
”カップ麺”が食べたいときがあるから食べる。
生麺が食べたければ、別の選択肢を選ぶ。
缶コーヒーも同じで飲みたいのは、
”缶コーヒー”であってコーヒーではないときがある。
”カップ麺”や”缶コーヒー”などは、
そもそも、それら本筋とは”別物”として存在している。
いうなれば、それ独自のジャンルの中にいる。
にもかかわらず、なぜ違う土俵を目指すのか。
ジブリの高畑監督はいう。
”アニメ”で表現したいのは”絵”の可能性であって、
実写のような葬儀のリアル感ではない。
何かを補い”別のモノ”になろうとするのは人間の悪い癖だ。
そのものの姿のままでも、その世界で”完全”は目指せる。
それが、”極める”ということではないだろうか。